ピースボート寄港地 ダナン




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ピースボート70周年クルーズ 案内



ピースボートはアジアをはじめとする各地の人々と現地での交流を行うことで国際交流と理解を図るという趣旨により、青少年を運営主体として長期の船旅を企画・運営しているが、実際には対価が発生することから、ジャパングレイスが旅行業者としてこれを企画・実施している。

この企画の発端は、日本のアジア侵略を「進出」と書き換え、被害国の人々が抗議した「教科書問題」である(誤報に端を発して国際問題となった。報じられた教科書とは別に「進出」との書き換え意見があったことも判明した)。世界中の市民と交流するに当たって、平和・民主主義・人権から地球環境問題など、具体的には、地域紛争やHIV問題など、地球上が抱える重大な問題をテーマに扱ってきた、政治的意図を持つ船旅企画である。

何らかの政治的・外交的問題を意識して渡航先の多くを選ぶことから、その行動や成果には賛同と否定の両方がある。主催者の辻元清美が政治家として世間に露出するようになってからは、さらに非難が目立つようになった。

ピースボートの主要活動である船舶旅行(クルーズ)は、平均して年2回以上行われている。船舶や寄港地での講演や交流企画もあり、参加者に体験と交流を促す面が強い。その一方、「ボランティアスタッフ」になれば通常より割安で乗船できることもあり、「安価な世界旅行ができる」と考えて参加する者もいると言われる。 また、クルーズ以外にもいくつか派生プロジェクトが実施されている。

ピースボートは自身のウェブサイトにて、自身が国連との特別協議資格をもつNGOであると表記している。ただし、国連のウェブサイトでは、ピースボートは経済社会理事会に協議資格(特殊諮問資格/Special Consultative Status)を持つNGOであると記載されており、若干の相違がある。

主催団体がNGOであるために、その収益等が全く公表されないことも疑問視されている。

ピースボート70回クルーズ案内 =こちらより

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旅日記  長塚 節 著


  一
 九月一日
 金華山から山雉(やまどり)の渡しを鮎川の港までもどつた。汽船で塩竈へ歸らうとしたのである。大分まだ時刻があつたので或旅人宿の一間で待つことにした。宿には二階がある。然し其案内されたのは表の店からつゞいた二間のうちの一間である。他の一間には宿の娘らしい紺飛白の衣物を着た十六七の子が針仕事をして居るのであつた。余は旅裝がみすぼらしいので何處の宿でも屹度待遇は疎末なのである。それでも余の座敷だけは店先からは見えぬやうになつて居る。店先ではとんとんと杵の音がする。余が表の障子をあけて此宿へはひつた時に其障子の蔭で宿の女房らしい女が肌衣一つで下女らしい女を相手に笄のやうな形の丸い杵を持つて小さな臼で白い粉を搗いて居たのである。余は草鞋を解きながらそれはどうするのかと聞くと明日は盆だから佛へ供へる團子にするので米をうるかして置いて搗くのだと其の笄のやうな形の杵を交る/\に打ちおろして居た。其杵の音が聞えるのである。余は座敷へ案内されてからもうるかすといふことが解釋に苦んだ。丁度針仕事をして居る娘は閾一つ隔てたのみであるから娘に聞いて見たらそれは水へ浸しておくといふことなのであつた。顏をあげた所を見ると娘はどことなくぼんやりと冴えないものゝやうである。然し其時はさう思つたまで[#「まで」は底本では「まて」]ゞ別に氣にも止めなかつた。其内に今日は塩竈行の汽船は來ないといふ知せがあつた。殘念だがこゝへどうでも泊らなければならぬことに成つてしまつた。余は鉛筆と手帳とをいぢつて見たが退屈したので新聞を貸してくれといつたら娘は仙臺の河北新報といふのを二三日分持つて來てくれた。それが如何にもはき/\としない態度である。碌に見る所もない新聞だからぢきに不用になつた。それから荷物を枕にして横になつて見た。先刻から茶碗でも茶菓子でも一杯になつて甞めずりまはつて居た蠅が五月蠅く顏をはひまはる。荷物の風呂敷で顏を掩うた。さうして居ると襯衣がひどくしめつぽく不快に感じ出した。かた/″\心持が落付かぬので到底眠ることが出來ない。風呂敷をとつて起きて見ると娘はいつかこちら向になつて肘を枕に横臥して居る。どうしても大儀相な容子である。娘はやがて仕事を捨てゝ去つた。余は娘の仕事をして居た座敷が明るいので座敷をとりかへることにしてもらつた。余は又横に成つてごろ/\して居ると何時の間にか娘はまた余がさつきの座敷の襖の蔭に横になつて居る。粉を舂いて居たのは娘の母と見えてそこへ括り枕を持つて來てそつと掻卷を掛けてやつた。銀杏返しに結つた娘の髮が開け放つた襖の蔭から少し出てすぐ余が眼の前にこちらを向いて居る。盆が來るといふので母が結うてやつたのであらうか油がつや/\として居る。余は此は病身な娘で仕事でも何でも只氣任せにして置くのだらうと思ふとひどく哀れになつて時々娘を見るといつもぢつとして日の暮れるまで動かぬのであつた。其翌朝は雨がじと/\と降つて居た。蒲團の中でもぢ/\して居るとそここゝでぽん/\と杵の音が聞える。便所へ立つたら隣の家の窓に白い大きな團子の盆に竝べてあるのが見えた。余の座敷の近くにある宿の佛壇を見るとそこにも皿へ團子が堆く供へてある。佛壇にも青笹だの鬼灯だのが飾つてあつて燈明がともつて居る。余は一つは好奇心から宿へ其團子を請求した。昨日の娘が一皿持つて來てくれた。黄粉がふり掛けてあつて其の上から砂糖がばらつと掛けてある。すぐに箸をとつて見る。只臼で搗いた粉はあらかつたと見えて齒切が餘りよくはなかつたがそれでも余は一つも殘さなかつた。皿の底の黄粉まで丁寧にくつゝけてたべてしまつた。皿を持つて來た所をつく/″\見ると娘は眼のまはりが幾らか隈になつて容易ならず貧血して居るのである。何處までも大儀相な果敢ない姿である。しとやかなのも病身故であらうと思ふと又改めて切ない哀れな心持になる。余は身体が惡いのかと聞いたら娘はいゝえと只一言曖昧にいつた。余は更に此の土地にも盆には踊があるかと聞いたらありませんといつた。心持のせいかそれが酷く淋しく聞えた。皿を置いて立つて行く娘の後姿を見たらふと帶の結び目の非常に小いのに氣がついた。拳の大さ程であつた。

(明治四十二年一月一日發行、アララギ 第一卷第二號所載)


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ブルーハワイ


エルヴィス・アーロン・プレスリー (Elvis Aaron Presley, 1935年1月8日 - 1977年8月16日)は、アメリカのロックンロールミュージシャン。ミドルネームは墓石にはAaronとつづられているが、サイン、公文書共にAronである。キング・オブ・ロックンロールまたはキングと称され、ギネス・ワールド・レコーズでは「最も成功したソロ・アーティスト」として認定されている。1977年8月16日、心臓発作により急逝。42歳だった。

黒人のリズム&ブルースと白人のカントリー&ウェスタンを融合することによって、今までにない新しい音〈ロック〉を誕生させ、広めた人物として知られる。初期はアメリカ、そして世界中の若者にロックンロールによって人気を博し、後期になるとラスベガスの舞台でカントリーやゴスペル、バラードなどを歌い、万人に愛される人物となった。

エルヴィスは最初、「The Hillbilly Cat(田舎者の猫)」という名前で歌手活動を始め、その後すぐに歌いながらヒップを揺らすその歌唱スタイルから「Elvis the Pelvis(骨盤のエルヴィス)」の愛称で呼ばれるが、アメリカのバラエティー番組『エド・サリヴァン・ショー』の3度目の出演の際には、保守的な視聴者の抗議を配慮した番組関係者が意図的にエルヴィスの上半身だけを放送したというエピソードが伝えられている。その際にサリヴァンが「このエルヴィス・プレスリーはすばらしい青年です」と紹介したことからサリヴァンにも罵声が飛んだ。しかしこのおかげでエルヴィスへの批判は少なくなった。また、フロリダの演奏では下半身を動かすなとPTAやYMCAに言われ、小指を動かして歌った。この時には警官がショーを撮影し、下半身を動かすと逮捕されることになっていた。 KWKラジオではエルヴィスのレコード(「ハウンドドッグ」)を叩き割り、「ロックンロールとは絶縁だ」と放送。ロックンロールが青少年の非行の原因だと中傷され、PTAはテレビ放送の禁止を要求など、様々な中傷の標的になった。 エルヴィスの記録は多数あり、例えば、最も成功した音楽アーティスト、最多ヒットシングル記録(151回)、1日で最もレコードを売り上げたアーティスト(死の翌日)、等がギネスによって認定されている。

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地球さん、ありがとう



地球が宇宙の中心ではなく、他の惑星と同様に太陽の周りを公転しているという地動説が受け入れられるようになったのは16世紀から17世紀にかけてのことである。太陽系を構成する天体のうち、当時知られていたのは太陽と6個の惑星(水星、金星、地球、火星、木星、土星)、地球の衛星である月、そして木星の4個の衛星(ガリレオ衛星)のみだった。



それから300年ほどの間に、2個の惑星(天王星、海王星)、約20個の衛星、数百個の小惑星が発見された。天王星と海王星の軌道が計算と一致しないことから「惑星X」の存在が予想され、捜索が始まった。1930年に冥王星が発見され、第9番目の惑星とされたが、海王星の摂動を説明するには冥王星の質量が小さすぎる事(後に海王星自体の質量推定を間違えたための計算ミスであったと判明)から「惑星X」の捜索は尚も続けられた。



20世紀終盤からは海王星より外側のエッジワース・カイパーベルトと呼ばれる領域で、かつて想定されていた惑星Xほどではないが比較的大きな天体が続々と発見され始めた。冥王星もそれらの天体の一つであるという認識が学界で定説となってきたことから、逆に冥王星を惑星から除外すべきだという提案もされたが、1999年に国際天文学連合 (IAU) は歴史的な重みを考慮して、「惑星の地位から格下げは行わない」ことを発表した。この間、更に数十個の衛星、一万個以上の小惑星が発見され、エッジワース・カイパーベルトより外側に彗星の巣とも言うべきオールトの雲の存在が予想されるようになった。



21世紀に入ってから発見されたクワオワーやセドナなどは第10番惑星として報道された事もあるが、いずれも冥王星より小さかったり極端な楕円軌道だったりするため正式に惑星としては認められなかった。しかし2005年1月に至って、ついに冥王星より大きいエリス(仮符号:2003 UB313)が発見された。



2006年8月24日のIAU総会で、惑星の定義を確定することが議題となった。当初の定義案ではケレス、カロン、2003 UB313が新たに惑星とされる可能性があったが、反対意見が多かったことから定義案が改定され、これが採択された結果として冥王星が惑星という分類からはずれ、新しく定義された準惑星に含まれることとなった。



冥王星は「さいはての惑星」ではなく、太陽系外縁天体内の新しいサブグループ(冥王星型天体)の典型例、すなわち「かつて考えられていたよりも遥かに広いことが明らかになってきた太陽系の、新しい領域を代表する存在」と見なされるようになったのである。



日本学術会議は、2007年4月9日の対外報告(第一報告)において前年のIAU総会で決まった新たな分類の日本語名称を提言し、同6月21日の第二報告で新しい太陽系の全体像を示した。

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パリ




パリ エッフェル塔 

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愛の讃歌(あいのさんか)はフランスのシャンソン歌手、エディット・ピアフ(Édith Piaf)の歌。原題はHymne à l'amour(イムヌ・ア・ラムール)。作詞エディット・ピアフ、作曲マルグリット・モノー。シャンソンを代表する名曲として世界中で親しまれている。

歌詞はエディットの恋の相手であったプロボクサー、マルセル・セルダンが飛行機事故で亡くなったのを悼んで作られたと言われてきたが、セルダンの生前に書かれた物だと判明している。相思相愛で誰もが知る仲ではあったが、妻子を持つセルダンとの恋愛に終止符を打つ為に書いた物だと考えられている。レコーディングは1950年5月2日。

歌は人気を集め、ピアフの後も幾度も別の歌手に歌われた(ジョニー・ホリデーの様に歌詞を男性に合わせた場合もあった)。ピアフのトリビュート・アルバムでは、カナダのロック歌手コリー・ハートが歌唱しており、ケベックでは歌手ニコール・マルタンが1976年にアルバムの表題曲にしてヒットした。米国の歌手ジョシュ・グローバンもフランス語歌詞でこれを歌っている。

日本では岩谷時子の訳詞により越路吹雪が歌ったものが有名である。越路版の『愛の讃歌』が収録されているCD等の売上はトータルで200万枚以上に達する[1]。岩谷の詞は原詞にある愛のためなら宝物を盗んだり自分の国や友達を見捨てたりするという背徳的な内容とは異なったものである。この岩谷訳は、近年では本田美奈子.がアルバムで取り上げた他、桑田佳祐もテレビCMの中でアカペラで歌唱していた。一方、岩谷訳より知名度は低いものの、永田文夫による日本語歌詞は比較的原詞の意味に忠実な内容となっており、美川憲一が歌っている(第56回NHK紅白歌合戦で歌唱)。美輪明宏は自ら訳した日本語詞を台詞として吟じたあと、フランス語の原詞で歌うというスタイルを取っている。