H22.2.20・Tokyou・はとバス

H22.2.20にTokyouのはとバスコースの「粋な浅草 江戸っ子物語」に参加しました。

はとバス日帰りツアーは・・・・・・・・・こちらより



はとバスに、久しぶりに乗りました。

浅草水上バスから、東京スカイツリーが見えました。寒かったけど、とってもハートは、暖かくなりました。公園には、梅の花も、咲き始めていましたよ。少しずつ、春に向かっているんですね~

浅草寺隅田川東京タワー
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Four Seasons Hotel Hawaii - Travel Movies



ハワイ島(The Island of Hawai‘i)は、アメリカ合衆国ハワイ州(ハワイ諸島)の島である。ハワイ諸島で最大の島であることからBig Islandとも呼ばれ、その面積は10,432.5 km²、日本の四国の約半分程度、岐阜県ほどの大きさである。島の人口は148,677人(2000年国勢調査)と、ハワイ州の島としてはオアフ島に次ぐ。また、同島東岸の都市ヒロは、日系移民によって開発された都市である。ヒロは、歴史的に津波により数度壊滅的被害を受けた経験から、太平洋津波博物館Pacific Tsunami Museumが設置されており、津波に関する研究が行われている。ハワイ島内の南西にある町、キャプテン・クックはキャプテン・クック(ジェームズ・クック)がハワイの原住民に殺害された場所であり、ケアラケク湾にはその記念碑がある。また、ハワイ王朝を統一したカメハメハ大王の出身地も島内にあり、ホノルルイオラニ宮殿前にあるのと同様の銅像が、同島東岸の街ヒロと、同島北端のハヴィ(カメハメハ大王の出生地)に各1体ずつある重要な町と都市
ヒロ
東部のヒロは、2000年度の国勢調査で人口40,759人と、ハワイ島で一番大きな都市であり州の中でも2番目に大きな都市で、ヒロはハワイ郡の郡都でもある。ヒロにはハワイ大学ヒロ校が設置されている。ハワイ大学ヒロ校は航海カヌー「ホクアラカイ」を運行するなど、先住ハワイ人文化の研究と教育の中心である。ヒロ国際空港があり、ハワイアン航空によるホノルル国際空港からの定期便も頻繁に運航されている。
コナ
カイルア=コナはハワイ島で2番目に大きな都市であり、成田国際空港発・着のJALウェイズが1日1便発着するコナ国際空港もあり、ハワイ島西岸に点在するビッグアイランドの多くのホテルへのゲートウェーである。
カワイハエ
コナ・コーストの北端に位置し、これまでに「マカリイ」「アリンガノ・マイス」の2艘の航海カヌーを建造するなど、ハワイの航海カヌー文化復興運動の中心地のひとつである。
ノースコハラ
ノースコハラには、約600人の日本からの移民によって作られた灌漑用水路がある。サトウキビ畑に水を引く為のもので、1905年に開始された工事は過酷を極め、17人もの死亡者が出た。トンネル内の壁には作業者が彫ったとおぼしき日本語の文字も現存している。
島外との交通
ヒロ国際空港 (ITO)
ケアホレ・コナ国際空港 (KOA)
観光地
ハワイ火山国立公園活火山 キラウエアおよびMauna Loa、黒砂海岸 を含む
アカカ滝州立公園:島で一番高さがある滝
ワイピオ渓谷
ハワイ熱帯植物園
パーカー牧場
マウナケア山
イミロア天文学センター
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Yuriko Nakamura Eternity 



中村由利子



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ピースボート寄港地 ダナン




ベトナム ダナン


ピースボート世界一周クルーズ案内



もっとくわしく知りたい人は、こちらへピースボート




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シンガポール



もっと知りたい方はこちらへ シンガポール

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ピースボート70周年クルーズ 案内



ピースボートアジアをはじめとする各地の人々と現地での交流を行うことで国際交流と理解を図るという趣旨により、青少年を運営主体として長期の船旅を企画・運営しているが、実際には対価が発生することから、ジャパングレイス旅行業者としてこれを企画・実施している。

この企画の発端は、日本のアジア侵略を「進出」と書き換え、被害国の人々が抗議した「教科書問題」である(誤報に端を発して国際問題となった。報じられた教科書とは別に「進出」との書き換え意見があったことも判明した)。世界中の市民と交流するに当たって、平和民主主義・人権から地球環境問題など、具体的には、地域紛争やHIV問題など、地球上が抱える重大な問題をテーマに扱ってきた、政治的意図を持つ船旅企画である。

何らかの政治的・外交的問題を意識して渡航先の多くを選ぶことから、その行動や成果には賛同と否定の両方がある。主催者の辻元清美政治家として世間に露出するようになってからは、さらに非難が目立つようになった。

ピースボートの主要活動である船舶旅行(クルーズ)は、平均して年2回以上行われている。船舶や寄港地での講演や交流企画もあり、参加者に体験と交流を促す面が強い。その一方、「ボランティアスタッフ」になれば通常より割安で乗船できることもあり、「安価な世界旅行ができる」と考えて参加する者もいると言われる。 また、クルーズ以外にもいくつか派生プロジェクトが実施されている。

ピースボートは自身のウェブサイトにて、自身が国連との特別協議資格をもつNGOであると表記している。ただし、国連のウェブサイトでは、ピースボートは経済社会理事会に協議資格(特殊諮問資格/Special Consultative Status)を持つNGOであると記載されており、若干の相違がある。

主催団体がNGOであるために、その収益等が全く公表されないことも疑問視されている。

ピースボート70回クルーズ案内 =こちらより

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旅日記  長塚 節 著


  一
 九月一日
 金華山から山雉(やまどり)の渡しを鮎川の港までもどつた。汽船で塩竈へ歸らうとしたのである。大分まだ時刻があつたので或旅人宿の一間で待つことにした。宿には二階がある。然し其案内されたのは表の店からつゞいた二間のうちの一間である。他の一間には宿の娘らしい紺飛白の衣物を着た十六七の子が針仕事をして居るのであつた。余は旅裝がみすぼらしいので何處の宿でも屹度待遇は疎末なのである。それでも余の座敷だけは店先からは見えぬやうになつて居る。店先ではとんとんと杵の音がする。余が表の障子をあけて此宿へはひつた時に其障子の蔭で宿の女房らしい女が肌衣一つで下女らしい女を相手に笄のやうな形の丸い杵を持つて小さな臼で白い粉を搗いて居たのである。余は草鞋を解きながらそれはどうするのかと聞くと明日は盆だから佛へ供へる團子にするので米をうるかして置いて搗くのだと其の笄のやうな形の杵を交る/\に打ちおろして居た。其杵の音が聞えるのである。余は座敷へ案内されてからもうるかすといふことが解釋に苦んだ。丁度針仕事をして居る娘は閾一つ隔てたのみであるから娘に聞いて見たらそれは水へ浸しておくといふことなのであつた。顏をあげた所を見ると娘はどことなくぼんやりと冴えないものゝやうである。然し其時はさう思つたまで[#「まで」は底本では「まて」]ゞ別に氣にも止めなかつた。其内に今日は塩竈行の汽船は來ないといふ知せがあつた。殘念だがこゝへどうでも泊らなければならぬことに成つてしまつた。余は鉛筆と手帳とをいぢつて見たが退屈したので新聞を貸してくれといつたら娘は仙臺の河北新報といふのを二三日分持つて來てくれた。それが如何にもはき/\としない態度である。碌に見る所もない新聞だからぢきに不用になつた。それから荷物を枕にして横になつて見た。先刻から茶碗でも茶菓子でも一杯になつて甞めずりまはつて居た蠅が五月蠅く顏をはひまはる。荷物の風呂敷で顏を掩うた。さうして居ると襯衣がひどくしめつぽく不快に感じ出した。かた/″\心持が落付かぬので到底眠ることが出來ない。風呂敷をとつて起きて見ると娘はいつかこちら向になつて肘を枕に横臥して居る。どうしても大儀相な容子である。娘はやがて仕事を捨てゝ去つた。余は娘の仕事をして居た座敷が明るいので座敷をとりかへることにしてもらつた。余は又横に成つてごろ/\して居ると何時の間にか娘はまた余がさつきの座敷の襖の蔭に横になつて居る。粉を舂いて居たのは娘の母と見えてそこへ括り枕を持つて來てそつと掻卷を掛けてやつた。銀杏返しに結つた娘の髮が開け放つた襖の蔭から少し出てすぐ余が眼の前にこちらを向いて居る。盆が來るといふので母が結うてやつたのであらうか油がつや/\として居る。余は此は病身な娘で仕事でも何でも只氣任せにして置くのだらうと思ふとひどく哀れになつて時々娘を見るといつもぢつとして日の暮れるまで動かぬのであつた。其翌朝は雨がじと/\と降つて居た。蒲團の中でもぢ/\して居るとそここゝでぽん/\と杵の音が聞える。便所へ立つたら隣の家の窓に白い大きな團子の盆に竝べてあるのが見えた。余の座敷の近くにある宿の佛壇を見るとそこにも皿へ團子が堆く供へてある。佛壇にも青笹だの鬼灯だのが飾つてあつて燈明がともつて居る。余は一つは好奇心から宿へ其團子を請求した。昨日の娘が一皿持つて來てくれた。黄粉がふり掛けてあつて其の上から砂糖がばらつと掛けてある。すぐに箸をとつて見る。只臼で搗いた粉はあらかつたと見えて齒切が餘りよくはなかつたがそれでも余は一つも殘さなかつた。皿の底の黄粉まで丁寧にくつゝけてたべてしまつた。皿を持つて來た所をつく/″\見ると娘は眼のまはりが幾らか隈になつて容易ならず貧血して居るのである。何處までも大儀相な果敢ない姿である。しとやかなのも病身故であらうと思ふと又改めて切ない哀れな心持になる。余は身体が惡いのかと聞いたら娘はいゝえと只一言曖昧にいつた。余は更に此の土地にも盆には踊があるかと聞いたらありませんといつた。心持のせいかそれが酷く淋しく聞えた。皿を置いて立つて行く娘の後姿を見たらふと帶の結び目の非常に小いのに氣がついた。拳の大さ程であつた。

(明治四十二年一月一日發行、アララギ 第一卷第二號所載)


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